伝統あるメゾンにストリートという新たな風を吹き込み、世界中を熱狂の渦に巻き込んでいるデザイナー、デムナ・ヴァザリア。
この記事では、デムナ・ヴァザリアがいかにして現代ファッション界の「革命家」と呼ばれるに至ったのかを、プロフィールや輝かしい経歴、そして彼が手がけたブランドでの功績まで、余すところなく徹底解説していきたいと思います。
ぜひ最後までご覧ください。
1.【プロフィール】デムナヴァザリアとは?
まずはじめに、デムナ・ヴァザリアが一体どのようなデザイナーなのか、基本的なプロフィールとデザインの特徴から解説していきたいと思います。
1-1. 旧ソ連・ジョージア出身、謎に包まれた素顔と経歴
デムナ・ヴァザリア(本名: Demna Gvasalia)は、1981年3月25日、当時はソビエト連邦の一部だったジョージアの都市スフミに生まれました。
ドイツ人の父とジョージア人の母の間に生まれた彼は、幼少期にジョージア内戦を経験し、家族と共にドイツへの移住を余儀なくされるなど波乱に満ちた生い立ちを持っています。
世界的なデザイナーでありながらメディアへの露出は極めて少ないことからくるミステリアスな存在感と、複雑な文化的背景から生み出される独創的なデザインこそが私たちを惹きつけてやまない彼の魅力といえるでしょう。
1-2. デムナのデザインの特徴は「ストリートクチュール」
デムナのデザインを一言で表すなら「ストリートクチュール」という言葉が最もふさわしいでしょう。
ラグジュアリーの最高峰である「オートクチュール」の技巧と、現代トレンドの「ストリート」を融合させた、まったく新しいスタイルで、極端なオーバーサイズのシルエットや既存の服を解体する再構築、DHLのロゴやIKEAのショッピングバッグなどありふれた日常のモチーフをデザインに引用。
高級な素材を使いながらも、あえて着古したような加工を施したり誰もが見慣れたロゴをラグジュアリーアイテムに落とし込んだり。彼のデザインは、これまでファッショントレンドの固定観念を覆し、何がクールで何が価値あるものなのか?という問いを私たちに投げかけているようにも思えます。
既成概念へのアンチテーゼとも言えるスタイルが、若者から熱狂的な支持を集めているのです。
2.【年表】デムナヴァザリアの経歴
ここからは、デムナヴァザリアが経験した幼少期から、ファッション界の頂点に駆け上がるまでの彼の歩みを年表形式で詳しく追っていきたいと思います。
2-1. 1981-2006:戦争を経験した幼少期からアントワープ王立芸術アカデミー卒業まで
デムナ・ヴァザリアは、1981年にジョージアで生まれました。
しかし、1992年に勃発したジョージア内戦により彼の人生は一変します。
当時12歳だった彼は家族と共に故郷を追われ、難民としてドイツのデュッセルドルフへ移住しました。
その後、ジョージアのトビリシ国立大学で国際経済学を学びますが、ファッションへの情熱を諦めきれず、2002年にベルギーの名門アントワープ王立芸術アカデミーに入学。マルタン・マルジェラやドリス・ヴァン・ノッテンなど、数々の天才デザイナーを輩出した学校でファッションデザインの基礎を学び、2006年に卒業しました。
2-2. 2007-2013:メゾン マルジェラとルイ・ヴィトンで積んだキャリア
アカデミー卒業後、デムナは自身が最も尊敬するデザイナーの一人であるマルタン・マルジェラが手がける「Maison Margiela(メゾン マルジェラ)」へ参画。
その後の2009年にはマーク・ジェイコブス率いる「Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン)」へ移籍。ウィメンズのシニアデザイナーとして、よりグローバルで商業的な視点を養い、ラグジュアリービジネスの最前線で経験を積みます。
対照的な2つのメゾンでの経験が、後の彼のデザイナーとしての視野を大きく広げることになりました。
2-3. 2014:自身のブランド「VETEMENTS(ヴェトモン)」を設立し、ファッション界に衝撃を与える
マルジェラとルイ・ヴィトンで経験を積んだデムナは、2014年、実弟のグラム・ヴァザリアや友人たちと共に、自身のブランドである「VETEMENTS(ヴェトモン)」を設立します。フランス語で「洋服」を意味します。
極端なオーバーサイズのフーディーやボンバージャケット、アイコニックなDHLのロゴTシャツなど、発表するコレクションは瞬く間に世界中の注目を集め、ラグジュアリーストリートという新たな潮流を生み出しました。
2-4. 2015:「BALENCIAGA(バレンシアガ)」のアーティスティック・ディレクターに大抜擢
ヴェトモンでの成功が評価され、2015年、デムナはアレキサンダー・ワンの後任として、伝統的なクチュールメゾン「BALENCIAGA(バレンシアガ)」のアーティスティック・ディレクターに就任するという衝撃的なニュースが業界を駆け巡ります。
歴史と権威の象徴であるバレンシアガとストリートの寵児であるデムナの組み合わせは、多くの驚きをもって迎えられましたが、彼は見事に期待に応えます。
2-5. 2019-現在:ヴェトモン退任とバレンシアガでの新たな挑戦
2019年、デムナは自身が立ち上げたヴェトモンを退任。
現在はバレンシアガへの敬意を払いながら、ブランドのアーカイブを現代的な視点で再解釈。ストリートの感性とクチュールの技術を融合させ、新生バレンシアガの人気を不動のものにしています。
最近ではGUCCIとの「ザ ハッカー プロジェクト」など、業界の常識を覆す試みで常に話題を提供し続けています。
3. デムナヴァザリアが手がけたブランド5選!
デムナ・ヴァザリアの輝かしいキャリアは、世界的なブランドでの経験によって築き上げられました。
彼がその才能を磨き、開花させた5つの重要なブランドでの功績をそれぞれ詳しく見ていきましょう。
① Maison Margiela(メゾン マルジェラ):デザインの哲学を学んだ場所
デムナがプロのデザイナーとして第一歩を踏み出したのが、アントワープの先輩でもあるマルタン・マルジェラが創設した「メゾン マルジェラ」です。
ここで彼は、衣服を根本から見つめ直し、解体して再構築する「脱構築」というアプローチを学びました。常識を疑い、服の本質を探求するマルジェラはデムナのデザイン思考の根幹となり、後のクリエイションに絶大な影響を与えています。
② Louis Vuitton(ルイ・ヴィトン):ウィメンズのシニアデザイナーとして活躍
マルジェラで前衛的なデザインを学んだ後、デムナは世界最大のラグジュアリーブランド「ルイ・ヴィトン」へと移籍。
当時マーク・ジェイコブスが率いていたヴィトンで、彼はウィメンズのシニアデザイナーを務めました。クリエイティブな表現だけでなく、グローバルなビジネスとしてファッションを動かしていくための商業的な視点やプロダクト作りのノウハウを吸収。
デザインを独りよがりなアートで終わらせず、多くの人々を惹きつけるリアルな服へと昇華させる重要な鍵となりました。
③ VETEMENTS(ヴェトモン):ラグジュアリーストリートの火付け役ブランド
2つのメゾンで経験を積んだデムナは、2014年、ついに自身のブランド「VETEMENTS(ヴェトモン)」を設立。
ありふれた日常着をベースに極端なオーバーサイズや斬新なカッティングを施したコレクションは、瞬く間にファッション界を席巻。DHLのロゴTシャツに代表されるように、”普通”のものを”クール”なものへと転換させる彼の才能が爆発。
ヴェトモンは、まさにラグジュアリーストリートというジャンルを確立した、伝説的なブランドとなったのです。
④ BALENCIAGA(バレンシアガ):伝統のクチュールを現代的に再解釈
ヴェトモンでの大成功を受け、デムナは2015年から歴史あるクチュールメゾン「バレンシアガ」のアーティスティック・ディレクターに就任。
これは彼のキャリアにおける最大の挑戦であり、現在も続く彼のメインステージです。彼は、創始者のクリストバル・バレンシアガが築いたエレガントなシルエットを尊重しつつ、自身の得意とするストリートの感性を注入。「トリプルS」スニーカーやロゴアイテムを次々とヒットさせ、ブランドを若返らせることに見事に成功。
伝統と革新を融合させ、バレンシアガを現在最もホットなブランドへと押し上げた功績は計り知れません。
⑤ GUCCI(グッチ):業界を震撼させた「ザ ハッカー プロジェクト」
デムナのクリエイションで忘れてはならないのが、2021年に発表され、業界に衝撃を与えたGUCCI(グッチ)とのプロジェクトです。
単なるコラボレーションではなく、互いのブランドのロゴやデザインコードを”ハッキング”し合うという前代未聞の試みでした。バレンシアガのアイテムにグッチのGGパターンが施されるなど、オリジナリティという概念を根底から覆すこのプロジェクトは、デムナの批評的な視点と遊び心が見事に発揮されました。
4. アングラ×ラグジュアリーの革命家、デムナヴァザリア。
いかがだったでしょうか?
今回は、デムナ・ヴァザリアが一体どんなデザイナーなのかを解説するために、経歴や人気コラボ、手がけたブランドなどを紹介させていただきました。
旧ソ連・ジョージアに生まれ、内戦という過酷な経験を経て、アントワープ王立芸術アカデミーからキャリアをスタートさせたデムナ・ヴァザリア。
これからも、その反骨精神と類まれなる才能で私たちに衝撃とインスピレーションを与え続けてくれるのが楽しみです。









