最近ストリートブランドにハマり、「HUMAN MADE(ヒューマン メイド)」のユニークなデザインが気になっているという人も多いのではないでしょうか?
HUMAN MADEを手掛けているのが、日本人デザイナーのNIGO(ニゴー)氏です。
日本の裏原宿カルチャーを生み出し、自身が創業した「A BATHING APE(ア・ベイシング・エイプ)」で世界を熱狂させた、まさに「ストリートの巨匠」と呼ぶべき人物です。
世界的なハイブランド「KENZO(ケンゾー)」のトップデザイナーとしても、ファッションシーンの最前線を走り続けています。
この記事では、NIGO®︎氏がなぜこれほどまでに影響力を持つのかを説明するために、彼が手掛けてきたブランドの歴史やカルチャーとの繋がりなどを徹底的に解説していきたいと思います。
ぜひ最後までご覧ください!
1. NIGO(ニゴー)とは?まず知りたいプロフィール
まずはNIGO氏の基本的なプロフィールから見ていきましょう。
| 名前 |
NIGO(ニゴー)
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| 本名 |
長尾 智明(ながお ともあき)
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| 生年月日 | 1970年12月23日 |
| 出身地 | 群馬県前橋市 |
| パートナー(配偶者) | 牧瀬里穂さん |
NIGO氏は、1970年生まれ、群馬県前橋市出身のファッションデザイナーであり、音楽プロデューサー、DJ、さらにはカレーショップ「CURRY UP」のプロデュースまで手掛ける、まさに「カルチャー」そのものを作り出すクリエイターです。
次の章では、NIGO氏の何がすごいのかを解説していきたいと思います。
2. NIGOの「何がすごい?」を3つのポイントで解説
NIGOがファッション業界、特にストリートカルチャーにおいて「レジェンド」と呼ばれる理由はなんなのでしょうか?
その答えを、まずは結論から、3つの大きなポイントに絞って解説します。
2-1. 日本のストリートカルチャー「裏原宿」の創生者の一人
今でこそ、ストリートファッションは当たり前のカルチャーとして根付いていますが、その爆発的なムーブメントの火付け役となったのが、1990年代の「裏原宿(ウラハラ)」カルチャーです。
NIGO氏は後に紹介する"師匠"藤原ヒロシ氏や、UNDERCOVERの高橋盾氏らと共に、その「裏原宿」ムーブメントを牽引した中心人物の一人。
単に服をデザインするだけでなく、ファッション、音楽、アートを融合させた独自のカルチャーシーンを原宿の裏通りから生み出し、社会現象にまで押し上げたことがNIGO氏のすごさです。
2-2. 世界を熱狂させた「A BATHING APE(エイプ)」の創業者
「裏原宿」カルチャーの象徴として、NIGO氏が1993年に立ち上げたブランドが「A BATHING APE(ア・ベイシング・エイプ)」、通称「エイプ」です。
アイコニックな「ベイプカモ」や「シャークパーカー」は、日本国内だけでなくファレル・ウィリアムスをはじめとする海外のトップアーティストやラッパーたちをも魅了。
「エイプ」は世界的な人気ブランドへと成長し、日本のストリートブランドが世界で通用することを証明しました。NIGO氏を伝説的な存在にした最大の理由と言えるでしょう。
2-3. 現在は「KENZO」のトップデザイナーとして活躍
過去の功績だけでもすごいのですが、NIGO氏の「すごさ」は今もなお最前線であることです。
2021年9月、彼はLVMHグループ傘下の世界的なハイブランド「KENZO(ケンゾー)」のアーティスティック・ディレクターに就任。
ストリートカルチャー出身のデザイナーがパリコレクションを舞台とする伝統的なメゾンのトップに立つことは、ファッション業界において非常に画期的な出来事です。
ストリートとラグジュアリーを繋ぐ、最も重要なデザイナーの一人として活躍し続けています。
3. NIGOが手掛けてきた主要ブランド
ここからは、NIGO氏が手掛けてきた主要ブランドを紹介していきたいと思います。
3-1. 伝説の始まり:「A BATHING APE®︎(ア・ベイシング・エイプ)」
NIGO氏のキャリアを語る上で絶対に欠かせないのが、1993年に創業した「A BATHING APE(ア・ベイシング・エイプ)」(通称:エイプ)です。
90年代の「裏原宿」ムーブメントを牽引したエイプは、「猿の顔」をモチーフにしたロゴや通称「ベイプカモ」と呼ばれるオリジナルのカモフラージュ柄で一世を風靡。
当時としては珍しかった「アイテムの生産数を絞る」という手法が、逆に入手困難な状況を生み出し熱狂的な人気を獲得。その人気は国内に留まらず、海外の有名ラッパーやアーティストたちがこぞって着用したことで、日本のストリートブランドとして世界的な地位を確立しました。
※NIGO氏は2011年にブランドのクリエイティブ・ディレクターを退任し、2013年には完全にブランドを離れています。
3-2. NIGOの"今"を体現:「HUMAN MADE(ヒューマン メイド)」
2010年に新たにスタートさせたのが「HUMAN MADE(ヒューマン メイド)」。
まさにNIGO氏の"今"のモードを色濃く反映したブランドで、世界的なヴィンテージコレクターとしても知られるNIGO氏が、自身の膨大なコレクションからインスピレーションを受け「過去と未来の融合」をテーマに掲げています。
エイプ時代のような派手なカモフラージュ柄とは異なり、ヴィンテージ感あふれるクラシックなワークウェアやミリタリーウェアをベースにしつつ、ハートのロゴや動物をモチーフにしたキャッチーなグラフィックが特徴です。
3-3. パリコレの舞台へ:「KENZO(ケンゾー)」のアーティスティック・ディレクター
2021年9月20日付で、フランス・パリの名門ファッションブランド「KENZO」のアーティスティック・ディレクターに就任。
KENZOは、日本人デザイナーの高田賢三氏がパリで創設した歴史あるブランドです。
NIGO氏は、創業者である高田氏へのリスペクトを込めつつ、自身のルーツであるストリートウェアの感覚と、KENZOが持つエレガントなスタイルを融合させた新しいコレクションを次々と発表。
裏原宿からキャリアをスタートさせたNIGO氏が、今やパリ・コレクションという世界最高峰の舞台で活躍しているのです。
4. NIGOを語る上で欠かせないキーパーソンとルーツ
NIGO氏がこれほどまでにカルチャーシーンに影響を与えた背景には、彼のルーツとも言える重要な「出会い」と「音楽」への深い造詣があります。
彼が単なるデザイナーではなく、カルチャーの"仕掛け人"となった理由を、2つの側面から紐解いていきましょう。
4-1. "師匠" 藤原ヒロシとの関係と「NIGO」の名前の由来
NIGO氏の本名は「長尾智明」だと紹介しましたが、なぜ「NIGO」と呼ばれているのでしょうか?
その答えは、"キング・オブ・ストリート"とも呼ばれる、藤原ヒロシ氏との関係にあります。
藤原ヒロシ氏は、NIGO氏がファッションに目覚めるきっかけとなった人物であり、NIGO氏が「師匠」と公言してはばからない存在です。
NIGO氏がまだ若かった頃、その風貌やファッションセンスが藤原ヒロシ氏にそっくりだったことから、周囲が彼を「藤原ヒロシ2号」と呼ぶようになりました。
そこから「2号」=「NIGO」というニックネームが定着したのです。
単なる憧れの人というだけでなく、90年代の「裏原宿」ムーブメントを共に作り上げた"同志"でもあります。
NIGO氏の原点には、常に藤原ヒロシ氏という偉大な存在があったのです。
4-2. 音楽とファッション:ラッパーやアーティストとの深い繋がり
NIGO氏のもう一つの顔は、「音楽プロデューサー」「DJ」です。
彼はファッションと同じくらい音楽、特にヒップホップカルチャーに深く精通しています。
TERIYAKI BOYZ(テリヤキ・ボーイズ)
2005年には、m-floのVERBAL氏らと共にヒップホップグループ「TERIYAKI BOYZ®」を結成。このグループには、カニエ・ウェスト(現:Ye)やファレル・ウィリアムスなど、世界のトップアーティストがプロデューサーとして参加し、大きな話題となりました。
NIGO氏は服をデザインするだけでなく、自ら音楽シーンにも深く関与することで、ファッションと音楽を強力に結びつけました。
彼が作る服が「カッコいい」のは、裏にある「カルチャーの匂い」を彼自身が体現しているからにほかなりません。
5. まとめ:NIGOはカルチャーを生み出し続ける革命家
いかがだったでしょうか?
今回はHUMANMADEのデザイナーであるNIGOとは一体どんな人物なのかについて解説させていただきました。
90年代に「A BATHING APE」で裏原宿カルチャーを創り出し、世界を熱狂させた功績に甘んじることなく、「HUMAN MADE」で自身のルーツを掘り下げ、「KENZO」という世界的なメゾンのトップとして、今もなおファッションシーンのど真ん中で新たな歴史を刻み続けています。
彼の過去や現在を知った上で、改めて「HUMAN MADE」や「KENZO」のアイテムをチェックしてみてください!









