サンローランのクールなロックテイスト、あるいはディオール・オムが巻き起こした黒の衝撃。ファッションを学んでいるなら、そのスタイルに心を掴まれた経験があるかもしれません。
それらの世界観をゼロから創り上げたのが、デザイナー「エディ・スリマン」。
メンズファッションの歴史を変え、ディオールやサンローランといった巨大メゾンを成功に導いてきた天才デザイナーとして知られています。
この記事では、天才デザイナー エディ・スリマンについて紹介していきたいと思います。
1. エディ・スリマンとは?
まずはじめに、エディ・スリマンとはどんな人物なのかについて簡単に紹介していきたいとと思います。
1-1.メンズファッションの歴史を変えた「革命家」
2000年代以降のメンズファッションをたった一言で語るなら、「エディ・スリマン以前」と「エディ・スリマン以降」という言葉が使えるほど、彼はメンズファッションの歴史を変えた革命家といえます。
彼が登場するまでのメンズファッションはゆったりとしたシルエットが主流でしたが、常識を根底から覆します。華奢で身体のラインがくっきりと現れる極端に細いシルエットのファッションを彼はデザインしていました。
このスタイルは単なるデザインの流行に留まらず「男性はこうあるべき」という社会のムードや着る人のライフスタイルにまで影響を与えました。
彼が起こしたことは、まさにファッションにおける「革命」だったのです。
1-2.ブランドの世界観を写し出す写真家としての一面
エディ・スリマンを語る上で欠かせないのが、フォトグラファーとしての一面。
彼の撮る写真はほとんどがシャープなモノクロームなスタイルで、モデルの繊細な表情や若者特有の危うい雰囲気を捉えたポートレートは、それ自体が一つのアート作品として高く評価されています。どのような世界観の中で、どのように着られるべきかを完璧に提示します。
デザイナーとフォトグラファー、二つの才能を掛け合わせることで、エディ・スリマンのクリエイションは完成すると言えるでしょう。
2. エディ・スリマンの生い立ち
ここからは、エディ・スリマンのファッションデザイナーとして美学がどのようにして形作られていったのかを見ていきましょう。
2-1:独学でキャリアを築いた、美術史からファッションへの道
エディ・スリマンは1968年、パリで生まれました。
彼はファッションデザインの専門学校に通った経験がなく、政治学院の卒業後、世界的に有名なルーブル美術館に併設された教育機関「ルーブル学院」で美術史を学んでいました。
この美術史のバックグラウンドは彼のモードデザインに大きな影響を与えることとなります。
彼は服を単体で考えるのではなく、歴史やアート、社会といった大きな文脈の中で捉え、ブランド全体の「イメージ」を構築していくのです。デザイナーでありながら、まるでアートディレクターのような視点を持っていることが彼の強みと言えるでしょう。
2-2:彼の創造性の源泉はロックミュージックとストリートカルチャー
エディ・スリマンのデザインを理解する上で、絶対に欠かせないのが「音楽」と「ストリート」という二つのキーワードです。
彼は10代の頃からカメラを片手にデヴィッド・ボウイやザ・クラッシュといったロックスターに夢中になっていたため、ライブハウスに通い詰めました。彼が惹かれたのは、ステージ上のスターだけではなく、そこに集まる無名の若者たちの危うさやエネルギーに満ちたリアルなスタイルでした。
エディスリマンが作り上げるデザインは、パリのラグジュアリーな世界から生まれるというよりは、ロンドンやベルリン、ロサンゼルスといった街の薄暗いライブハウスの熱気や、アスファルトの上の若者たちの姿からインスピレーションを得ています。
このストリートのリアルな感性とハイファッションを繋げたことこそ、彼のデザインの真骨頂と言えるでしょう。
2-3:すべての原点「イヴ・サンローラン」で才能を開花させる
美術史を学び、カルチャーへの深い知識を育んだエディが才能を開花させるのは「イヴ・サンローラン」でした。
1997年、メンズラインである「イヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュ」のディレクターに抜擢。後に「ディオール・オム」で世界を席巻することになる、極端に細いスキニーシルエットの原型をすでに発表していました。
才能は高く評価されましたが、自身のクリエイションを完璧にコントロールしたい彼と、ブランド側との間に少しずつズレが生じます。そして彼は更なる飛躍を求めて、新たなステージへと向かうことを決意するのでした。
このイヴ・サンローランでの経験が、彼のキャリアのまさに原点となったのです。
3.【一覧】エディ・スリマンが成功に導いたブランド
エディ・スリマンがファッション史にその名を刻んだのは、彼が手がけた3つのビッグメゾンの存在があったからです。
それぞれのブランドで彼は何を行い、どのような伝説を残してきたのでしょうか。その軌跡を一つずつ辿っていきましょう。
3-1:Dior Homme|スキニーパンツで世界のメンズモードに革命を起こした伝説
2001年、エディ・スリマンが「ディオール・オム」のクリエイティブ・ディレクターに就任。
当時のメンズファッションは男性的でゆとりのあるシルエットが常識でしたが、彼が発表したコレクションは、そのすべてを過去のものにします。
彼が打ち出したのは黒を基調としたタイトな「テーラードジャケット」と、脚のラインが浮き彫りになるほど細い「スキニーパンツ」。このスタイルは世界中に衝撃を与え、熱狂的なファンを生み出します。
その影響力は凄まじく、かのシャネルのデザイナーであったカール・ラガーフェルドが、「エディがデザインしたスーツを着たい」という一心で40kg以上もの減量をしたという逸話もあります。
2007年に彼がブランドを去るまでの7年間は、まさにメンズファッションの”革命期”として現在でも語り継がれています。
3-2:Saint Laurent|伝統をロックに刷新。成功を収めた衝撃の4年間
写真家としての活動に専念していたエディ・スリマンが、ファッション界に電撃復帰を果たしたのが2012年。自身のキャリアの原点でもある「イヴ・サンローラン」でした。
復帰早々、ブランドの象徴であった「Yves Saint Laurent」のロゴを「Saint Laurent Paris」へと変更。伝統を重んじる多くの人々から批判の声が上がりましたが、彼は揺るぎませんでした。
彼の創り出す服はパリのエレガンスというよりも、ストリートカルチャーやグランジロックの匂いが色濃く反映されたもの。レザージャケット、ダメージデニム、チェックシャツなどを展開し、一部のファッション評論家からは批判されましたが、一方で若い世代からは絶大な支持を受けます。
結果として、サンローランの売り上げは驚異的に伸び、ブランドは商業的に大成功。賛否両論を巻き起こしながらも、ブランドを現代的にアップデートしてビジネスを成功に導きました。
3-3:CELINE|ウィメンズブランドを大胆に改革、そして電撃退任へ
2018年、エディ・スリマンは新たに「セリーヌ」のディレクターに就任。
彼が就任する前のセリーヌは、フィービー・ファイロというデザイナーが作り上げた、知的でミニマルな女性像で絶大な人気を誇っていました。
しかし、エディはここでも自身の美学を貫きます。
就任後すぐにブランドのロゴを変更し、ファーストコレクションではこれまでのセリーヌのイメージを完全に覆す、自身のシグネチャースタイルであるロックでタイトなシルエットを発表。セリーヌでもこれまでのファンから大きな反発を呼び、「私の知っているセリーヌじゃない」という声が世界中で上がりました。
それでも彼は新たにメンズラインを立ち上げ、香水も展開するなど、ブランドの領域を拡大。これによってセリーヌは新たな顧客層を獲得し、ビジネスを大きく成長させました。
就任から6年後の2024年10月にセリーヌからの退任を電撃的に発表。一つの時代に幕を下ろし、ファッション界は再び彼の次なる一手に注目することになったのです。
4. エディ・スリマンとは、メゾンを成功に導き続けるデザイナー。
いかがだったでしょうか。
今回は、エディ・スリマンのルーツから彼がファッション史に刻んできた数々の伝説を追ってきました。
ディオール・オムで見せたメンズファッションの常識を覆すほどの「革命」。
サンローランで成し遂げた伝統への大胆な「改革」と商業的な大成功。
そしてセリーヌで断行した、賛否両論を恐れないブランドの「再構築」。
彼のキャリアを振り返って見えてくるのは、彼が一貫して、ただ美しい服を作るだけの「デザイナー」に留まっていないということです。









